さて、もう一度聖霊の火を求めるということですが、私の中ではまだ方向性が見えていません。
誰かしらと一緒に神様の働きをするべきなのでしょうが、教会というのはもはや私にとってかなり居心地の悪い場所になってしまっているからです。
ほかのクリスチャンとの協力が必要なのに、教会に深入りして良いかためらわれるわけです。おかしくなってしまう教会もあるし、信仰のスタイルもいろいろだから、合う合わないもあります。なかなか難しいものです。
といってひとりで働きを始めるようなエネルギーは現在のところない状況です。
新しい風を求めてこの前の主日は友人の行ってる教会に行きました。教会は良い教会でしたが、自分が通うところかというと違う気がしました。
そのときに友人から聞いたのがフィリップ・マントーファ先生の話です。
台湾人の先生でインドネシアの教会で副牧師をしている人です。信徒時代は1日5時間は祈り、毎週水曜日に自宅に人を招くと必ず招かれた人が救われるという霊性の持ち主です。
新宿アルタ前で聖会が持たれたときは耳の聞こえない子供の耳が聞こえるようになる癒しが起こりました。また、マントーファ先生が手ぬぐいを投げると当たった人が聖霊の力で倒れたり、参加していた私の友人も誰にも触れられなくてもその場にいるだけで倒れたりしました。
台湾人の先生です。
これから台湾に行って最初に行く場所は友人の教会です。台湾の教会がなぜリバイバルしたのか、正直なところあまり知らないので、この旅行でいろいろ学ぶことができれば幸いです。
Heavenly Directionが与えられますように。
しばらく更新していなかったブログですが、一年ぶりに書いてみました。
聖霊の火を求める活動は決してあきらめたり中断したりしてはならず、ライフワークとして取り組まなければならないでしょう。悔い改めてもう一度初めの心に立ち返ろうと決めました。
自分で書いたブログを今一度読み返してみると、当時の思いや期待がよみがえってきました。
途中で挫折してしまった原因はいろいろ思い当たります。
これからもネックになる可能性のある課題として認識しておきます。
優秀さをもって主を証することはできますが、それよりも励ましや慰めを与える方が力があるでしょう。
今日は同期の一人が欠勤していました。あまり研修の進みが芳しくなく、悩んでいたふしがあるので心配になりました。一度励ましをしたことはあるのですが、なかなかかける言葉も難しく、フォローできていなかったところがあります。帰りに勤怠カードを切るとき、その人のカードがなくなっていました。まだその人に主を証していません。最後にその人を見たのは、大通公園を北大のリバイバルのために祈りながら歩いているときでした。ベンチで一人で座っているので、声をかけようか迷いましたが、祈っている最中だったので、私はあの強盗に襲われて半殺しになった人の脇を避けて通った祭司やレビ人のように、通り過ぎました。愛の実践の機会を逃し、救いに導く機会を逃してしまい、心が痛みます。
自分の責任の範囲の中にいる人々に対して、私はどれだけ忠実でいられるでしょうか。
昨日の昼、派遣会社から着信が入っていたので折り返したら、高い評価を受けているため、いまの研修内容とは全く別のチームへの配属を打診されているとのことでした。
それはそれとして北大のために祈りながら大通公園を歩き回りました。最後にベンチで祈っていると、ふと隣を見ると研修チームのリーダーがいたのでギョッとしましたが、気を取り直して職場に戻りました。
配属を打診されているチームはこれから確実に拡大していく見込みのあるところでした。おもしろそうだったので、日曜日の休みと、北大の集いのときに早めに帰る約束を取り付けた上で引き受けました。
後で研修チームのリーダーの人と一対一で話しました。その方によると、私は同期の12人の中で一番高い評価を受けているとのことでした。ハレルヤ!御自分の民を頭にしてくださる主の恵みに感謝します。
話はそれでしまいかと思いきや、「どこの教会に行ってますか?」と聞かれました。何とそのリーダーの方はクリスチャンで、ジェリー先生のこともジェラルド先生のこともよく知っており、一時期は教会の見習いスタッフもしていた人でした!不思議な主の巡り合わせもあるものです。
21日の礼拝では、5年間全く歩けなかった人が癒しの祈りを2回受けたあと、「新しい足をもらったようだ!」と驚いて、そのまま歩きだしました。全く歩けず、筋肉もほとんどなかったはずなのに、片手で歩行器をつかんでいるだけで歩けるようになりました。ハレルヤ!主の御名を賛美します。
人生で与えられている時間は有限です。何事でも成功する人は「選択と集中」ができる人です。神の民であれば、主がその人に命じられたことに集中すれば、大勝利は間違いありません。私は自分が集中すべきことが何か、最近やっと自覚しました。
そもそも私が札幌に来たのは北大の福音化のためでした。何年も前からなぜかそういう思いが与えられていました。それで北大から徒歩1分の場所に住所を定めました。
ICF教会は私が初めて行く少し前に、ある預言者が「北大の福音化が北海道のリバイバルの鍵だ!」と預言しました。私はそういうときにICFにつながりました。
そして、先月のホームカミングでは、台湾霊糧堂の預言者の卵から、私が「ジョシュアの世代の救い」に用いられると預言されました。霊糧堂の人はホームカミングに来る前に「日本にはあなたが励ます人がいる」と預言されていました。
こういう一連の流れの中でも私には実際のところ、なぜか確信がありませんでした。今月、ある兄弟の的をついた言葉をきっかけに繰り返し預言の言葉について考えるようになりました。いつも御声や御心を求めて祈っていたにもかかわらず、なぜかすでに何をするべきか示されているのに気づいていませんでした。主から「これをするように」と示されているというのは何と幸いなことでしょう。今までは集中できていませんでしたが、今後は北大の福音化のために集中して祈ります。

