昨日のICFの祈り会では、先週乳癌の癒しを確認した人がいました。病院で働いている方なのですが、一度目の検査でははっきりと三つの腫瘍ができていることがわかり、手術の必要が明らかでした。しかし、ICFで癒しを祈ってもらったあと、先週の土曜日あらためて検査してみると、跡形もなく消えていました。レントゲンの写真は残っており、本人だけでなく医者と看護師が確認しています。同じ人が、階段から落ちて痛めた足の痛みについても癒されました。日々癒してくださる神様の働きを見ると、癒しを否定することは特に意味がないことがわかります。
先週と今週とで、長所と短所、ポジティブな面とネガティブな面を考える機会がありました。一度目はアルバイトの面接で長所と短所を聞かれ、長所はすぐに言えたのですが、短所はなかなか出て来ず、「前向きなので短所は思いつきません」と答えました。二度目はYouTubeの動画で、自分についてのポジティブなイメージとネガティブなイメージを3つずつ書いてくださいと指示がありました。ポジティブなイメージについてはすぐにたくさん思いつきましたが、ネガティブなイメージが全く出てきませんでした。「主よ、私は高慢なのでしょうか。ネガティブなイメージが何も思いつきません」と祈っていると、動画の中のメッセンジャーが「ネガティブなイメージが思い浮かばない人はすばらしいことなので、何も書かなくても良いです」と私のあり方を支持してくれました。
自分が完全だと思っているわけではありません。開発途中の部分はあるにせよ、イエス・キリストの血潮による赦しと清めを確信している以上、あえて否定的な自画像について考えることは御心ではないでしょう。神様が忘れてくださっている過去の罪やすでに打ち勝っている罪性を自らほじくり返して「これです」と人に見せることは主の御業を軽んじることです。それは悪魔が一番私たちにさせたいことです。いつも暗い顔をし、あらゆることについて悔い改めの祈りをし続けることが敬虔だと思っている人がいます。罪を犯したら悔い改めは必要です。しかし、解決済の問題を呼び起こして嘆くことは敬虔な行為ではありません。私は「神から生まれた者は罪を犯すことがありません」と書いてある御言葉を信じます。
アーメン
ハレルヤ!すばらしいアイデンティティをくださる主に感謝です!
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