繁盛期が過ぎて、私の職場のコールセンターでは電話が入ってこなくなりました。元々繁盛期に溢れた電話を拾うための部署なので、電話が来ないときはほとんど来ず、一件も受けずに退勤する人も多く出ました。私も木曜日は一件しか受けませんでした。
なぜほとんど働いていないのに、給料を8,000円以上もらえるのか、考えてみました。労働の対価としてもらうのではありません。時給という契約によってもらうのです。それで、ぶどう園の労働者のたとえを思い出しました。ろくに働かなかった労働者も一日中苦労して働いた労働者も同じ1デナリオンを受け取りました。なぜなら、どれだけ働いたかではなく、1デナリオンの契約で働いたからです。福音は契約によるものです。私の労働の対価として救いが与えられるのではなく、働きがなくても主イエス・キリストのパンとぶどう酒による新しい契約によって救われるのです。
ハレルヤ!契約によって救われたことを感謝します。働きが必要だったら、私は決して救われなかったでしょう。契約によって救いをいただく恵みに感謝します。
いまの職場は17日で終わりです。残すところわずかです。最終日には打ち上げの飲み会を企画したのですが、19人集まることになりました。こういうところで、クリスチャンが主導権をにぎることが地の塩、世の光として用いられる上で大事であることを信じます。