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何人かでも救いに導くため

私がまだ宗教的な頚きにつながれていたとき、ノンクリスチャンから誘いを受けてもたいてい断っていました。「ただでさえ教会生活が忙しいのに、他のことなんてできない!」というのが当時の状態でした。

これは伝道者としては失敗です。使徒パウロは「わたしはすべての人に対してすべての者になりました。何人かでも救いに導くためです」と言っています。人を得るためには相手を自分のテリトリーに引っ張るだけでなく、自分から相手のテリトリーに入っていかなければなりません。クリスチャンになったばかりのころはそのことを良く心得ていて、所属サークルの集まりでゴスペルコンサートのお知らせをしたり、クラスメイトを教会に導いたりしていました。しかし、教会のリーダーになった後は時間がなくなってしまい、身動きが取れなくなってしまいました。

いま完全に自由な立場になって、再びパウロの精神に戻っています。人から誘われたらついて行きます。それでライブハウスに行ったり観劇に行ったりしました。先週の火曜日、札駅の地下街でいつものように伝道していると、最初の一人目から、逆にお茶会に誘われました。趣旨が見えなかったのですが、とりあえず若者中心に20人から30人くらい集まっていて、IT企業の経営者が主催しているのだそうです。

とりあえず行ってみました。行ってみたらただのお茶会ではなく占いをする集まりでした!占いは死にあたる罪であり、お遊びでやっても呪われます。「占いは受けません!」と言ってお茶だけして、来ている人たちと交流して帰りました。よくわからない集まりでしたが、二回目の「うどん作り」の集まりにも参加してみました。そうしたら誰から聞いたわけでもありませんが、聖霊様が彼らの正体を教えてくれました。何のことはない、ネットワークビジネスの集まりです!それでもそ知らぬ顔で三回目も参加してみました。何人かでも救いに導くためです!そこで知り合った人から今朝メールでやりとりしていたら、「来月の22日まで家に泊まらせてほしい」という話になりました。一瞬考えましたが、「ある人は気づかない内に天使をもてなしました」という御言葉と「この最も小さな者一人にしてくれたことは、私にしてくれたものなのです」というイエス様の御言葉を聖霊様が思い出させてくださったので、すぐに承諾しました。それで、明日も教会に来ることになりました。ハレルヤ!長いこと私と一緒にいてイエス様を知らずに済むわけがありません!主が人を与えてくださいました!
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[ 2015/02/28 11:04 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

どうしても行きたい場所

「沖縄に行く」という話をすると、周りの人は観光地で遊んでリフレッシュするというイメージを持ちます。私もある程度そういうつもりで行こうとしていました。行けば大いにリフレッシュするでしょう。でも今回の目的はあくまでジーザスカフェと祈りの家です。

初日にジーザスカフェの近くで宿を取り、その後の日程で観光もしようと目論んでいました。しかし、特別どうしても行きたいというところはありません。どうしても行きたいのは主の臨在が著しい場所、恵まれる場所、聖霊様が力強く働かれる場所です!というわけで、友人とも二日間ともジーザスカフェの近くで泊まることで一致しました。

先日あるネットワークビジネスをやっている人から40万円で世界15ヵ国を巡れる旅行券が手に入るという話を聞きました。主が造られた世界を見て回ることは確かにすばらしい経験に違いありません。それにもまさるのは、造り主であり、無限の豊かさを持っておられる主御自身と交わることです!ハレルヤ!

航空券も安いものは最後の一枚、ホテルの部屋も手頃なものは最後の一部屋とかでした。後少し動くのが遅ければ手に入らなかったでしょう。ちょうど良い時期に旅程を決められて感謝です!三日前に与えられたアイデアがもう実現しつつあります。

いま私は派遣社員として働いています。お陰で土曜出社三日間分の代休を固めて、沖縄に行くことも簡単に許可がおります。正社員になれないこともありませんが、仕事の責任が重く、自由に休みがきかないので避けています。今後も主のご意思以外の何にも縛られないライフスタイルを続けてます。少なくとも聖霊様の火を豊かに受けて大きな働きを始める前まではいろいろな場所に行く必要があるでしょう。長く留まる場所ではどこでも主に結ばれた者として実を結んでいきたいです。
[ 2015/02/27 23:43 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

友人の証しとジーザスカフェ行き

昨日、東京のクリスチャン仲間から久しぶりの電話をもらいました。中野ゼロホールの“Kingdom has come!”以来、不思議な神様の力を体験するようになったとのことです。ゼロホール以来、その兄弟は聖霊様の働きを求めて関東圏の預言カフェを巡っているそうです。そんな中、頭痛で寝込んでいた兄弟のために5分くらい祈ったら、いつもより元気な状態に回復し、足を引きずっていた兄弟のために祈ったら屈伸ができなかったのに余裕でできるようになるという主の癒しの御業が起きました。ハレルヤ!

札幌に戻って以来、私は聖霊様との働きに関して、今ひとつな状態が続いていたので、中途半端さを悔い改めさせられました。これでは駄目だと分かっていたので、変革のきっかけを掴むためにおとといから沖縄のジーザスカフェに行く日程を早めることを考え、祈り始めていました。本来は仕事の切れ目の4月に行くつもりだったのですが、いろいろと釈然としないことがたくさんあり、そんな状態で次なる収入源を決めるのは賢明ではないと判断しました。恵みの場所があるなら、時を待たずに一日でも早く行くべきです。電話をくれた友人にそのことを話し、誘ってみると、すぐに飛びついて一緒に行くことになりました。
[ 2015/02/26 23:24 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

行くべき道を教えよう

いまの職場の契約は4月の中旬までです。その後どうするべきか、まだ決めていませんでした。当然主の導きに従って決めたいところです。たとえどのような仕事に就いたとしても、私の身分は神の子であり、私は主に献身した者として魂の救いのための伝道者として歩むことに変わりはありません。その他の点については二次的なものです。

4月以降の道について迷っていたので、御言葉から語っていただきたいと願い、聖書を開きました。すると、すぐに次の御言葉が飛び込んできました。
「わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
分別のない馬やらばのようにふるまうな。
それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。
そのようなものをあなたに近づけるな。」
最近の主の導きは意味不明なこともあったりして、主の導きに期待して良いのか、懐疑的になってしまっているところがありました。主はこの御言葉で、「私は確かにあなたに目を注ぎ、進むべき道を教えるから安心しなさい。意味がすぐに分からなくても私が示す最善の道を行きなさい」と語ってくださいました。

分別のない馬やらばは主の導きに従おうとしません。私はダブルワークはしないと決めたのに、主の導きを信頼せずにもう1社受けてしまいました。そうすると、問題なく決まりそうだったのに、不思議な導きで駄目になりました。私はダブルワークのために7社受けて、不思議な導きで全部駄目になりました。私は仕事はすぐに決まる人なので、それがくつわと手綱での制御だとはっきり分かります。

主のご計画は全部は示されていませんが、主に信頼して委ねます。一番良い道を歩ませてくださるでしょう。

以前、職場である人に誕生日プレゼントを渡そうとしたとき、「受け取れない。理由は聞くな」と厳しく拒否されたことがありました。挨拶をしても挨拶を絶対に返してくれませんでした。それまでは仲良くしていたので、私がクリスチャンだということで拒絶されたのかと思い、ショックでした。ショックながら、その人のためにはほぼ毎日祈っていました。すると、今日その人から謝罪があって和解しました。爽健美茶を差し入れしたら、今度は受け取ってくれました。聖霊様を心に受けている神の子は、世の中と違う歩みをしなければなりません。明日も別の人と和解しなければなりません。聖霊様が導いてくださって、正しく振る舞うことができますように。
[ 2015/02/25 18:57 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

Can't stop praising His name, Jesus!

人間というのは当事者のうちの片方から話を聞くだけで、それですべてがわかったものと考えてしまいます。それで物事を単純に割り切ってさっそく判定をくだし、一方を裁くのですが、もう片方から話を聞くのを忘れています。もう片方からの話も聞くと、物事はそれほど単純ではなく、何とも言えない複雑に絡み合った状況があることに気づくことになります。私は自分の言い分はいつも控えめにしか話さないので、第三者が間に入るときはいつも損をしているように感じます。私から第三者に事情を話すことは滅多にありません。陰口は暗殺に等しい罪ですから!

今日は嫌な話が三件重なりました。そのうち二件は間に何人か人がいて入り組んだ状況になってしまい、そのうち二件は伝道に関することでした。

人々は愚にもつかない話をいろいろとします。中には、下品な話や不道徳な話、怠惰についての話、人への悪口など、よろしくない話もたくさんあります。その中で私がまじめに魂の救いについての話や神の教会や愛してやまない救い主イエス・キリストについての話をしたところで、何が悪いのでしょうか。むしろ賞賛されるべきではないでしょうか。下品な話や悪口こそ、非難されてしかるべきではないでしょうか。

主が御言葉で慰めを与えてくださいました。
「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。
あなたを尋ね求める人は見捨てられない。」
Can't stop praising His name, Jesus!
今日は祈祷会で聖霊様の導きで、この歌詞の歌ばかり30分以上歌い続け、“Jesus”と数百回叫びました。黙ってなるものか。ますます主イエスの御名を声高らかに宣言します。主イエスの御名には力があります。ハレルヤ!
[ 2015/02/21 01:11 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

願いとあれば国の半分なりとも与えよう

雪まつりの終わった札幌はだんだん暖かくなってきました。道路の端にうずたかく積み上がった雪も、溶け始めています。今年の冬が暖かいのは私が北海道に移住したからだと言う兄弟がいました。そうであるなら主のご配慮はすばらしいです!

「御声を聞かせてください」という祈りを続ける中で主から示されたのは「聖書の御言葉から私の声を聞きなさい」ということです。以前は「日々のみことば」というディボーション冊子を使っていたのですが、札幌移住を機に使わなくなり、通読はすれど深い黙想が欠けていました。致命的な失敗です。

エステル7:2
クセルクセス王は王妃エステルが命がけで会いに来たことを喜び、「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」と言いました。国の半分もくれるというのは気前の良いことです。もちろん本気ではなく、当時の言い回しかもしれませんが。ペルシャ帝国の半分と言えば、広大な領域です。くれると言われても大事過ぎて、「ではください」と簡単には言えないでしょう。

王の王なる主は、本気で私たちに国を与えてくださいます。しかも、半分ではなく、すべて。主イエス・キリストは主の祈りで、 私たちに「御国を来らせたまえ」と祈らせています。また、「何よりもまず神の国を求めなさい」と命じておられます。黙示録では主と同じ玉座で統治する権威を与えてくださることを約束しておられます。主は私たちに御国を与えたくて仕方がないのです。王の王なる主の恵みは気前良すぎて私たちは物怖じしてまともに受け取ることができません。だから、主は私たちに求めて祈るように命じられ、重ねて御言葉で約束し、「遠慮することはない」と太鼓判を押してくださっているのです。私は主のご好意に感謝して、遠慮なく主の御国をいただきます。
[ 2015/02/17 19:58 ] ディボーション | TB(0) | CM(0)

すべてはあなたがたのもの

第一コリント3:5~6,21~23
21節で、「すべてはあなたがたのものです」と宣言されています。あなたがたとは誰でしょうか?教会です。すべては教会のものです。教会は神様からすべてを与えられています。このすべての目録の最初に登場するのは、22節で「パウロもアポロもケファも」と書いてあるように、人間の教師たちです。5節を見ると、この教師たちは、教会を信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。それぞれ異なる方法、異なる役割によって教会の成長に用いられました。神様が教会の成長のためにいろいろな教師たちを与えてくださっているのです。

今日の教会はそういう点で恵まれています。私たちは教会史に登場した様々な教師たちの教えを受け、成長することができるからです。神様はユニークな教師たちを戦略的に歴史に登場させ、今の時代の教会がその恵みに与ることができるようにしました。だから、特定の教えにとどまって、他を知ろうとしないことはもったいないことです。それはコリント教会の信徒たちと同じ誤りに陥ることです。コリントの信徒たちは、教師を選り好みして、一人を尊び、他を排除しました。それによって分派を生み出したのみならず、主が与えようとしておられた恵みの内の一部しかいただけなくなりました。私たちにはパウロもアポロもケファも必要だし、カルヴァンとウェスレーどちらからも恵みを受けられます。ラインハルト・ボンケからもベニー・ヒンからもビル・ジョンソンからも恵みを受けられます。有名どころだけでなく、私たちを成長させてくれるすべての教師たちが主から与えられたものです。

いまの時代は啓示と知識が増しているので、前時代には聞けなかった有益な教えが無数にあります。時々偽教師もいるので注意しなければなりませんが、多くの場合未知な教えに接しないことによる損失の方が大きいでしょう。多くを知ればそれだけ分別もできるようになり、偽教師に惑わされることが少なくなります。

主がすばらしい教師たちを与えてくださったことを感謝します。これからももっと多くを学ぶことができますように。
[ 2015/02/17 18:00 ] ディボーション | TB(0) | CM(0)

伝道はしなくていい?

私が毎日伝道しようとしていることについて、心配して「伝道は毎日しなくていいですよ。宗教のようにしてはいけません。私たちは働き人である前に神の子です。プレッシャーで伝道しても聖霊様が働きません」と言ってくれる人がいました。ありがたい忠告であり、感謝でした。

しかし、そう言われると悩んでしまいました。いつも伝道以上に祈る時間、主と交わる時間を大事にしているので、恵まれていないわけではありません。毎日伝道することが宗教活動のようで主の目に良くなかったでしょうか。御心を求めて聖書を10章ほど読んで、閉じたあと、聖霊様が語ってくださいました。

「福音を伝えなければ私は不幸なのです」パウロ書簡の言葉でした。そう、勢いよく福音を伝え続けることこそ私がこの世での生き甲斐を感じることです。勢いを止めて、休んでしまうと私は不幸に陥ります。使命を果たしていないからです。私は油注ぎを求めていますが、油注ぎはすでに燃えている者にこそ注がれると信じます。ラインハルト・ボンケ先生はよくメッセージで、「別の聖霊体験を求める前に、すでに受けている聖霊様の力で福音を伝えなさい」と語っています。この点で、新たな油注ぎを受ける上で私は失格者になりたくない。

そういうわけで、今日も10人に声をかけて3人に福音を正確に伝えました。彼らの心に蒔かれた種が芽を出しますように!

伝道のあとに以前伝道した友人に誘われてライブハウスに行きました。ヒルソング系の教会はライブハウスで集会を開くそうです。ここでも神様を賛美する歌が歌われるようになったら良いではないでしょうか。

[ 2015/02/15 18:57 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

天気を変える

祈祷会でサハリンの教会を牧するエレーナさんの証しを聞きました。サハリンは札幌よりもさらに北の昔日本では樺太と呼ばれた島です。25年前までは一つも教会がなかったのに、いまは68教会となっています。

クリスチャンになってわずか3年でエレーナさんは教会開拓を始めました。教会の特徴は狂ったように祈ることです。証しで特に分かち合われたのは天気についてでした。雪が降らないように祈ったら2月まで雪が降りませんでした。「雪が降らないと植物が凍ってしまうではないか」という苦情を受け、翌年は祈らなかったら大雪になり、雪解け水で洪水になるという警報が出されました。教会は雪が神様によって取り去られるように祈りました。すると、普段は湿度80%以上が当たり前なのに、20%とサハラ砂漠と同じくらい湿度が低くなり、雪が蒸発して洪水が起きませんでした。台風が接近すると教会は台風が来ないように祈ります。すると、毎回台風が途中で消滅したり、進路を変えたりしたので、気象庁の職員2人が不思議に思って教会に行き、イエス・キリストを受け入れました。ハレルヤ!

神様は今日も私たちの天気についての祈りを聞いてくださいます。考えてみたら私も2回くらい天気について祈って、答えられたことがあります。神の子は天気予報を覆すことができるのです。
[ 2015/02/13 23:36 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)

祈りの円を描く

「私の仕事を果たす準備をしなさい」という言葉をいただいたことをブログにアップした直後、すぐに人からお金を受け取ってしまいました。それで、アルバイトを始めるというのは御心ではなかったのだと判断しました。「NEWLIFE」という預言がなかったら最初の3社のどれかに入っていたことでしょう。御声を聞くににぶい私がアルバイトを始めないようにとの主の計らいでしょう。実際、NEWLIFEの一件を話したら、「神様は3社を蹴らせるためにNEWLIFEという預言を与えたのだ。神様は他の方法であなたを経済的に満たそうとしておられる」と解釈してくれる人もいました。

主の仕事のための「準備」というのは単純に伝道をもっと必死ですることなのか、それとも他のことを始めることなのかわかりませんでした。ところが、土曜の夜祈っていると、以前からずっとしようと考えていた祈りの円を描くことを今すぐ始めるべきだという思いが与えられました。

祈りの円というのは、祈りながら歩いて大きな円を描きその円の周囲のものを主に勝ち取る働きです。札幌に来る前からいつかしないといけないと思っていましたが、どんなコースで回ったらいいのかわからず、家の中で集中して祈ることも大事だろうという理由で先延ばしにし続けて今にまで来てしまいました。今月の末には仲間と一緒に祈り始める約束もしていましたが、御心ははっきりしています。つまり、一日でも早く始めて、なるべく多くの祈りを積むことです。

エリシャがイスラエルの王に矢を地面に射るように命じたとき、イスラエルの王は3回射てやめました。エリシャは怒って言いました。「5度も6度も射るべきであった。そうしたらアラムの軍隊を完全に滅ぼし尽くすことができたであろうに!」ここでいう矢というのは祈りのことに思えてなりません。勝利の大きさは単純に祈りの蓄積量にかかっているということです。だから、大勝利を得るために、私はこれからできる限り毎日祈りの円を描くようにします。

今日は札幌雪まつりと、そのキャンペーンで入園料無料になった円山動物園に行ってきました。





[ 2015/02/08 22:55 ] Jesus Cafe | TB(0) | CM(0)