昨夜はJRタワーの展望室に上り、クリスマスコンサートを聞きました。
私の友人に小学生のときに旭川の教会に通い、イエス・キリストを受け入れる祈りをした人がいます。でも本人は受け入れたという自覚がありませんでした。その友人は21日のクリスマスキャンドルサービスのときに、久しぶりに教会に来て、またイエス・キリストを受け入れる祈りをしました。でも今度も自覚がなさそうでした。
「主よ、これはどういうことでしょうか。あの人は救われているのですか。」
ずっと祈っているといろいろなことを主が思い出させてくださいました。
東京にいたとき、ある大学生を伝道しました。その人に福音を伝えたところ、なんと以前電車に乗っているときに私と同じ教会の兄弟に伝道されてキリストを受け入れたことがあるというのです。電車でキリストを受け入れたときに、「これであなたは天国に行けます」と言われたことを覚えていました。最初に受け入れたとき、彼は何のことかよくわからなかったでしょう。救われたという自覚がなかったでしょう。しかし、あとになってその大学生が、「僕はあのときすでに救われていたんですね!」と話すのを聞きました。
また、私が喘息の発作で死にそうになったとき、神様から助けていただいたことを自覚していませんでした。あとになってノンクリスチャンの父親から再三、「神様に助けていただいたことを感謝しているか」と聞かれて初めて自覚しました。
そして、最近だと、私は自分が聖霊のバプテスマをすでに受けていて、異言で祈ることができていたことを自覚していませんでした。それで、すでに与えられているのに必死に得ようと悪戦苦闘していたのです。渡辺明日香さんから導きを受けたとき異言がはっきりと現れましたが、その前のタイにいたときにラオ先生は私が異言で祈ることができていたと言っています。本当はずっと前から異言をともなう聖霊のバプテスマが与えられていたのに、自覚していなかったのでしょう。
最後にヤコブの夢を思い出しました。ヤコブが夢を見ると、天まで届くはしごに御使いが上り下りしていました。夢から覚めたあと、ヤコブは「まことに神がこの場所におられたのに私は知らなかった」と告白しました。主がすぐ近くにいても、知らない、気づかないということがありうるのです。私たちは主が私たちのためになさったことをはっきりと自覚する必要があります。
これらのことが示されたすぐあと、そのとき読み進めていたビル・ジョンソン先生の本の続きを読んだら、まさに私が示されたヤコブの夢の箇所のことが書かれていました。それで主が私に示されたことは間違いないことだと確信しました。私の友人は小学生のときに、すでに救われていたのです。
信仰は与えられたものを自覚することが大事です。私たちは往々にして聖書の真理ではなく、自分の中の偽りに満ちた考えに心を寄せてしまうことがあるのです。
ICFではメッセージの前に信仰の宣言をする時間があります。すばらしい内容なので、この宣言を聞いただけでもICFに行ってみたいと思いました。
「私は聖書に書いてあるとおりの者です。
私は持っていると聖書に書いてあるものを持っています。
私は聖書にできると書いてあることができます。
私はそうします。
そして、悪魔は何もできない。
神が私たちの味方であるなら誰が私たちに敵対できるでしょう。」
私が伝道した人たちの中には、キリストを受け入れる祈りをしたものの、すぐには教会に導くことができず、そのままお別れした人が結構います。果たして彼らは救われているのか、気がかりでした。彼らのうちの多くが実際に救われており、天国で予想外の収穫を見て喜ぶことになると信じます。
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札幌では毎日雪が降り続けています。10年前に来たときは寒いという印象しかなかったのですが、いまは雪が降り続ける中、歩くと嬉しくなります。本当に札幌に来たのだという実感が新たになって。どれだけ寒い場所であっても厚着をすればしのげます。いまは札幌での生活はすべてが新鮮であり、仕事もいろいろな人たちとの出会いも心から楽しんでいます。
ICFでは頻繁に癒しの証しがなされています。今月も全盲の人が光を見るまで回復しましたし、21日の礼拝では切開手術が必要なはずの耳の炎症が完全に癒されたことが医者によっても確認された証しがありました。私もジェリー先生に油注ぎと癒しを祈ってもらったら、タイのときと同じように神様の力によって地面に倒れました。
札幌市の北にある石狩市に
CFNJ(Christ For The Nations Japan) という聖書学院があります。そこで理事長代理を努めておられ、ICFの長老でもあるジェラルド・グドール先生から聖書を一対一で教えていただけることになりました。ICFに行くまで、他の4つの教会では自分の背景について詳しくは説明しませんでした。あまり良い話にはならないので、本格的に通うと決めてから打ち明けようと思っていたのです。しかし、何となく示されるところがあって、ICFでは最初から全部オープンにしました。すると、思いのほか理解を示してくださり、歓迎くださいました。本当に感謝です。一般信徒からでも基礎から喜んで学ぶつもりでいましたが、聖書学院の理事から直接教えていただけるとは願ってもないチャンスです。たくさん吸収します。
祈りによって、主の導きの中で歩んでいると多くの災いから守られます。
「死の陰の谷を行くときも、
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖、
それがわたしを力づける。」
今年の8月、札幌に移住する前のことです。深刻な人生の問題に直面して精神的に追い詰められている中、深夜バイトと使役を両立しようとしていたとき、早朝に車で衝突事故を起こしてしまいました。任意保険に入っていたのでほとんどは保険でまかなわれました。しかし、10月の下旬、検察庁に呼び出され、「罰金は20万円や30万円では済まない。最大100万円の罰金だ」と言われました。払うあてがなく、両親にも負担をかけたくなかったので、途方に暮れ、不幸を呪っていました。しかし、途中で考え直し、「致し方のない状況だったとは言え、私が起こした事故なのだから私に責任がある」として、責任を負う覚悟を決めました。
ところが、主の導きに従って札幌に移住してから検察庁に連絡してみたら、「今回の件について罰金を科すことはないようにしようと思う。11月末までに私から連絡がなければこのまま終わりにする」と、特に理由もなく検察官の態度が180度変わりました。そのまま11月が終わり、お咎めなしで済みました。キリストの赦しは実生活の経済面や社会面にまで及ぶのだということを体験し、主を賛美しました。このことからも主のご好意と札幌移住が御心であったことを確認できました。
もう一つは、違反者講習について、祈りの中で車を売り払うべきであるとわかり、9万8千円で車を売りに出したところ、一日で買い手がついて売れました。そのあと、違反者講習についてのお知らせが来ました。調べてみたところ講習を受けるといろいろと有利であることが分かりましたが、講習が平日しかないため、会社の研修を休まなければ受講できません。免許センターからは「ほとんどの人が仕事を休んで受講しているので、受けることを勧めます」ということを言われました。どうするべきか祈ったところ、受講しなくてよいとわかり、受講せず、会社の研修を優先しました。
今週は勤務先の契約更新の是非が問われる週でした。それほど厳しくないと思っていたのですが、一日でも研修を休んだ人は有能な人でも更新できませんでした。私は祈りの結果に従ったので問題なく更新できました。主に感謝します!自分の分別に頼るのではなく、主の導きに従うことがどれだけ安全で確実なのかがよくわかります。
主よ、これからも私の歩む道を照らしてください。
契約更新できなかった仲間たちのことが気がかりです。彼らに主の慰めがあるように。
友人の紹介で人と会いました。相手が誰であれ、いろいろな人と会うことは財産となります。
会った人は私よりも月収が2倍も3倍もある人でした。ビジネスでお金を儲けて自由を手にすること、行きたいときに行きたいところへ行ってやりたいことを好きなだけやることをその人は自由と言っていましたが、それに価値を置いている人でした。アメリカの「ルート66」という道をハーレーに乗って仲間とツーリングしたいと言っていました。世の中で言うところの成功者になりつつある人と初めて話してみたのですが、その夢のむなしさに愕然としました。もし私だったら、海外で遊ぶことや趣味活動にふけることが人生のすべてなら、むなしすぎて生きていけないでしょう。
そこで、「私は神様が行かせたいところに行き、神様がさせたいことをしたいです。そこが札幌だろうが、ジャングルだろうが、犯罪だらけのスラム街だろうが神様がそこに行かせたいならそこに行きたいです。そのために必要なお金や助けはすべて神様が与えてくださるので、必要に事欠くことはありません。生涯設計については、自分で計画を立てずに神様にひたすら聞きます。なぜなら私の愚かな計画よりも神様の完璧なご計画の方が常にずっと良いからです。」また、朽ちる富のためではなく、永遠に朽ちない富のために働きたいということも、口には出しませんでしたが、彼のライフスタイルに魅力を感じなかった理由です。そういうことを言ったり考えたりしていると、急に相手が怒りだしてしまいました。特に相手を批判したり非難したりしたわけではないので困惑しましたが、冷静に、穏便にいきましょうと言ったら、ますます怒ってしまいました。
後からなぜ彼があんなに怒ってしまったのか考えてみました。変な話ですが、
たぶん彼は私に嫉妬していたのでしょう。クリスチャンというのは、何も持っていなくてもすべてを所有している存在です。だから最強です。キリストとの愛の関係は切っても切れないので、何ものもクリスチャンを揺り動かすことはできません。金持ちになろうとしている人にとって、金を自慢できない相手ほど我慢ならない存在はないでしょう。
金持ちが天の国に入るのは本当に難しい。私はできるだけ貧しい人を探して仕えるようにします。
昨日、札幌駅の地下街にあるABCクッキングスタジオという料理教室の体験レッスンに参加して、ナポリタンとパンを作りました!
札幌に来てからというもの、いろいろな教会に参加させていただき、すでに5つの教会の礼拝に出席しました。教会開拓の可能性を模索しつつも、既存の教会の礼拝には主日ごとに必ず参加しました。悪魔に非難する口実を与えないためです。
最終的にICF(International Christian Fellowshipの略)という教会に通うことに決めました。それが御心だと信じる理由はいろいろとあります。
1.教会開拓をすぐに始めることが御心なのではないかと思い、ギデオンのようにしるしを求めましたが、しるしは与えられませんでした。神様のゴーサインを見ようと躍起になりましたが、サインが見られなかったのです。私はまだ聖霊の賜物について学び始めたばかりの駆け出しの身です。いきなり、しかも一人で開拓を始めるよりは、まずはどこかの教会で仕えて、聖霊の賜物を磨くことに専念すべきではないかと考え始めました。
2.最初に3つの聖霊派の教会に行きました。どれも素晴らしい教会でしたが、聖霊の賜物についてはあまり見られませんでした。4つ目に行った教会は聖霊の賜物の実践訓練を重んじる教会でしたが、「宗教の霊」が働いているのを感じたので避けました。しかし、4つ目の教会で「聖霊の賜物や預言は教会のためのものなので、それを学びたいなら教会に属さなければならない」と言われたことは真実であると感じました。それを言われたあと、ちょうどそのとき読んでいたシンディー・ジェイコブスの「神の声」という本に預言の賜物を持つ人は「特定の教会の権威に従わなければならない」ということが書いてあるのを読んで再確認しました。私は預言の賜物を求めている以上、まずは教会に属するのが適切な手順です。
3.それではどうすればよいのか。聖霊の賜物がはっきり現れている健全な教会はないのかと導きを求めていたところ、以前「合同賛美祈祷会」について検索したときに何気なくお気に入りに登録していたICFのページに惹き付けられました。ICFジェリー・シャンソン先生の11/30のメッセージをYouTubeから聞いてみたら、いきなり「癒しの礼拝」のメッセージで、「癒し」や「知識の言葉」といった賜物が実践されていました。
4.実際に12/14に行ってみたら、分かりやすくて力強いメッセージに励まされ、癒しの祈りもいただくことができました。ジェリー・シャンソン先生は日本に来るとき神様の導き以外に何のあてもなく、スーツケース一つだけ持ってきたそうです。大した信仰です!私が札幌に来た経緯と通じるものがあります。もっとも、私は車いっぱいに物を乗せて来ましたが。ICFでは、私が来月の来日を待望しているビル・ジョンソン先生のベテル教会の賜物の実践訓練を取り入れていて、祈祷会では、預言の賜物を実践しているそうです。どう考えてもここに通うことが御心でしょう!
5.しかも、ABCの体験レッスンでICFの信徒の方とばったり会いました。神様はクリスチャンを愛によって捕らえるためにそういう形で追跡なさることがあるのを知っていたので、やはり、ICFが御心に違いないと確信しました。
毎日神様の御手の働きが確かにあります。明日も大事なイベントがあり、今日は眠れそうにありません。このクリスマスの時期、日本中の教会で豊かな収穫がありますように。畑は刈り入れを待つばかりであると信じます。
伝道をしていると、はっきりとした将来の夢に向けて全力を尽くして努力に努力を重ねている人や一日2時間睡眠で死ぬもの狂いで勉強している人の話を聞く機会がありました。そういう人の話を聞くと、クリスチャンであるにもかかわらず、世の人と比較しても献身の点で負けているのではないか、と落胆します。しかし、よくよく考えてみると、「気も狂わんばかりの忙しさ」というのは日本語聖書で「悪」とか「思い煩い」とか訳されていて、絶対に避けなければならないものです。彼らは働きに忙しすぎて、残念なことに主を知るために時間をさくことができないのです。働きも大事ですが、優先順位の第一は主なる神様御自身との交わりです。交わりは、プレッシャーや緊張の中でするものではなく、落ち着いてじっくりとするものでしょう。私が以前いた教会は献身の点では日本一といってもいいくらいでしたが、私にとっては落ち着いて主との交わりを築くのが難しく感じました。聖書と聖霊による主との交わりと実践のためのミニストリーは、バランスが必要です。
主との交わりについては、
恵那レーマミニストリー(http://www.ermbible.net/) の徐起源(ソウキウォン)先生のメッセージからアイデアを得て、異言で祈りながら聖書を読む時間を持つようになりました。そうすると聖書通読が進みます。
また、ラオ先生のメッセージで、油注がれた賛美があると主の臨在に入りやすくなると聞いたので、賛美CDを流して祈っています。今週行った24時間祈りの家でも賛美CDがかかっていました。
祈りの中でも重要な指針は示されていますが、どうすればよいのか答えがはっきりとしないことがいくつかあります。そういったはっきりとしない部分というのはそんなに重要ではない事柄なのかもしれません。「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と書いてある以上、示されていることを追求していくうちに、主が必要なものはすべて与えてくださるでしょう。
今週火曜日、いろいろなメッセージや本を通して立て続けに神様から「子供」と「貧しい人」をターゲットとした奉仕を始めるようにと示され続けたので、その両方にあてはまる人たちのいる市内の青少年自立支援ホームを訪ねてみました。児童養護施設を出てからも居場所の定まらない子供たちが入るところです。
話を聞いてみると、確かにケアが必要のようですが、NPO側で一番助けが必要なのはホームではなく、そのNPOがみている精神障害者や引きこもりのケアだそうです。札幌市194万人のうち、数万人単位の人が家に引きこもってしまい、社会とのつながりがない状態です。華やかに思える札幌の闇の部分を知りました。いまは仕事が始まったばかりで、ボランティアが必要な平日に手助けすることはできません。来年の春に雇用期間が終わったあとは、キリストの手となり足となってそういう人々を訪問したいと願っています。
いまだに札幌で何をすべきかよくわかっていません。いくつかの指針は示されています。外に出て、失われた人々と友達になることです。イエス・キリストはそれをされました。集会所にどのくらい人が集まるかは、しばらく考えない方がよいでしょう。
今週始まった新しい職場の人たちとは今までになく交流が進んでいます。来週には私が幹事役になってのクリスマス会も開く予定です。以前の職場では昼休みは聖書を読んだり信仰書を読んだりする時間に費やしていました。神の国の大使としては完全に失格の態度でした。
職場のほかに、いろいろと世の人と交流できる場所に行く予定をぽつぽつと入れています。人々の中に入って神の御国を見ることができますように。
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