祝福は私たちの方に向かって転がり込んでくるのを口を開けて待っていてはいけません。祝福の中には、何もせずとも待っていれば向こうからやって来るものもあります。 しかし、たいていは、尊い祝福であればあるほど、こちらから勝ち取りに行かなければなりません。祝福を勝ち取りに行くのが天国の人の特徴です。 「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」マタイ11:11-12 天の国の祝福を得るためには可能なことは何でもすべきです。タイに行けばそれが手に入るならタイに行きます。 イエス・キリストが地上におられた時代、パレスチナ全体、果ては異邦人の地からまでも人々がキリストに会いにやってきました。そうやって行動を起こした人だけが癒され、悪霊が追い出され、新しい言葉を授かりました。何もせずに待っていた人には何も起こりませんでした。この恵みの時代も同じように、結局求めて行動を起こした人だけが祝福されます。
スポンサーサイト
主の導きを求めるとき、まずは御言葉に基づいた判断するように心がけなければなりません。次に主から示されるように祈ります。祈っていて、御言葉を通して進むべき道が示されたのなら確かなものだと信じていいでしょう。 他人の意見に耳を傾けるのは、ほどほどにすべきです。残念ながら、私よりも私のために祈っている人はほとんどいません。もしその人が確かに私のために私よりも祈ってくれていたり、聖霊の賜物に富んでいて、御言葉に基づいた助言をしてくれたりようであれば、耳を傾けても良いかもしれません。 しかし、たいていはそうではないので、私たちは個々に主から示されたことに従って歩んでいかなければなりません。
お金というのは、受け取ることで渡す側の人間に縛られることもあります。渡す側にそういう意図がなかったとしても、受け取る側がそれを負担に感じたらすでに縛られています。 少額のお金のために他人にコントロールされてしまうというのは、愚かなことです。だから、私たちはただお金に執着しないようにするだけでなく、受け取ったら不利になるお金を拒否するようにしなければなりません。それが、神の人としての尊厳を保つために必要なことです。私たちは神以外の何者にも人生をコントロールされてはならないのです。
すでに死んだ人は信頼できます。なぜなら、もう人生が終わっているので、途中で変質したり、倒れてしまったりする心配がないからです。 だから、信仰書は半分以上は古典を読むようにしています。ジョン・ウェスレーやアンドリュー・マーレーの本は安心して読めます。 生きている人については完全には信頼できません。途中でスキャンダルを起こすことがあり得るからです。特に有名な人、影響力のある人であればあるほど、高慢になって倒れやすいように思えます。生きている特定個人を持ち上げることは慎重にならなければなりません。その人を持ち上げて、模範として、他の人にもいろいろな証しを紹介したりすると、後で倒れてしまったときに破壊的な結果をもたらします。 私は最近ある人の本をすべてごみ箱に捨てました。やはり、生きている人よりも死んでいる人の方が信頼できます。
今日、上の人に新しい道を歩むことを切り出しました。上の人は惜しみながらも理解を示してくださいました。 これは私にとって大きな飛躍です。とうとう軛を打ち砕きました。今後は自由をもたらす福音の恵みをかみしめて、主なる神様の御言葉にのみ基づいて生きていきます。 私はいま冷静であり、感情にまかせての行動でも、自己中心的な無責任なやり方でもありません。すべては穏便に、慎重に、主の御心を求めて進めていきます。 私は幼いとき、まだクリスチャンではなかったときから、この世に生を受けたからには自分には特別な使命があると信じてきました。すべての人がそう信じるべきです。いまやその使命を果たすための新しい道を切り出したと信じます。主なる神様以外に何のあてもありませんが、主が支持してくださることであれば必ずや実ります。
私が最も尊敬するクリスチャンはジョン・ウェスレーです。 初めて「キリスト者の完全」を読んだときは衝撃を受けました。 ウェスレーいわく、聖書の御言葉は私たちの生活の細部にいたるまで適用可能です。 「わたしが聖なる者であるように、あなたがたも聖なる者となりなさい」と命じられています。だから、私たちはすべての選択において、より清く生きることに資する選択をしなければなりません。 もし恵みを奪い去るような環境、関係等があるなら排除しなければなりません。私たちは恵みにおいて成長することだけにこだわるべきであり、つまらないこだわりによって神の恵みを無にしてはなりません。 まもなく私は大きな決断をしようとしています。それがタイ王国に行く前になるか、後になるか、それはわかりません。
希望の日が近づいてきました。 あとたったの2回主日を迎えるだけで、あとはすぐにタイ王国に行くことになります。
言うだけ言ってみることは大切です。 多くの人が上の人なんかにお願いしたいことがあっても「みんな言わないから」とか、「言ってもきっと断られるから」という変な理由で躊躇してしまいます。 しかし、実際は言ってみると意外と道が開けてくることが結構あります。 特に自分の進路や将来に関することであればダメもとで言ってみることが大切です。自分の将来のことを真剣に考えてくれる人は自分以外あまりいません。だから、自分で主体的に動かないといけません。言ってみれば、「そういうことなら」と聞いてくれたり、前例のない措置をとってくれるものです。仮にダメだったとして、損することは全くありません。 半年間だけ営業マンをしていたときの上司の教えです。当時は上司の性格の悪さを嘆いていましたが、今となっては当時の経験が役に立つ局面がたくさんあって感謝しています。
創世記21:22-34 ペリシテ人の王、アビメレクは、アブラハムに、「あなたが何をしても、神があなたと共におられることがわかりました」と言って、アブラハムと対等な平和条約を結びました。 アブラハムは一個人であるにもかかわらず、王と対等な契約を結びます。アビメレクは主の御守りを受けるアブラハムを脅威に思ったのです。 神が共におられる人は、無視されたり軽んじられたりすることはありません。誰もが一目を置き、その意見に傾聴せざるを得ない人物になります。神が共におられる人は、王とすら対等です。なぜなら、王の系統を引く祭司であるからです。 「あなたがたは王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」聖書
ひょんなことからビッグパレットに来ました。郡山市にあるイベントものの建造物です。
| HOME |
次ページ ≫
|