雪まつりの終わった札幌はだんだん暖かくなってきました。道路の端にうずたかく積み上がった雪も、溶け始めています。今年の冬が暖かいのは私が北海道に移住したからだと言う兄弟がいました。そうであるなら主のご配慮はすばらしいです!
「御声を聞かせてください」という祈りを続ける中で主から示されたのは「聖書の御言葉から私の声を聞きなさい」ということです。以前は「日々のみことば」というディボーション冊子を使っていたのですが、札幌移住を機に使わなくなり、通読はすれど深い黙想が欠けていました。致命的な失敗です。
エステル7:2
クセルクセス王は王妃エステルが命がけで会いに来たことを喜び、「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」と言いました。国の半分もくれるというのは気前の良いことです。もちろん本気ではなく、当時の言い回しかもしれませんが。ペルシャ帝国の半分と言えば、広大な領域です。くれると言われても大事過ぎて、「ではください」と簡単には言えないでしょう。
王の王なる主は、本気で私たちに国を与えてくださいます。しかも、半分ではなく、すべて。主イエス・キリストは主の祈りで、 私たちに「御国を来らせたまえ」と祈らせています。また、「何よりもまず神の国を求めなさい」と命じておられます。黙示録では主と同じ玉座で統治する権威を与えてくださることを約束しておられます。主は私たちに御国を与えたくて仕方がないのです。王の王なる主の恵みは気前良すぎて私たちは物怖じしてまともに受け取ることができません。だから、主は私たちに求めて祈るように命じられ、重ねて御言葉で約束し、「遠慮することはない」と太鼓判を押してくださっているのです。私は主のご好意に感謝して、遠慮なく主の御国をいただきます。
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第一コリント3:5~6,21~23
21節で、「すべてはあなたがたのものです」と宣言されています。あなたがたとは誰でしょうか?教会です。すべては教会のものです。教会は神様からすべてを与えられています。このすべての目録の最初に登場するのは、22節で「パウロもアポロもケファも」と書いてあるように、人間の教師たちです。5節を見ると、この教師たちは、教会を信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。それぞれ異なる方法、異なる役割によって教会の成長に用いられました。神様が教会の成長のためにいろいろな教師たちを与えてくださっているのです。
今日の教会はそういう点で恵まれています。私たちは教会史に登場した様々な教師たちの教えを受け、成長することができるからです。神様はユニークな教師たちを戦略的に歴史に登場させ、今の時代の教会がその恵みに与ることができるようにしました。だから、特定の教えにとどまって、他を知ろうとしないことはもったいないことです。それはコリント教会の信徒たちと同じ誤りに陥ることです。コリントの信徒たちは、教師を選り好みして、一人を尊び、他を排除しました。それによって分派を生み出したのみならず、主が与えようとしておられた恵みの内の一部しかいただけなくなりました。私たちにはパウロもアポロもケファも必要だし、カルヴァンとウェスレーどちらからも恵みを受けられます。ラインハルト・ボンケからもベニー・ヒンからもビル・ジョンソンからも恵みを受けられます。有名どころだけでなく、私たちを成長させてくれるすべての教師たちが主から与えられたものです。
いまの時代は啓示と知識が増しているので、前時代には聞けなかった有益な教えが無数にあります。時々偽教師もいるので注意しなければなりませんが、多くの場合未知な教えに接しないことによる損失の方が大きいでしょう。多くを知ればそれだけ分別もできるようになり、偽教師に惑わされることが少なくなります。
主がすばらしい教師たちを与えてくださったことを感謝します。これからももっと多くを学ぶことができますように。
創世記24章
私はほぼ毎日「日々のみことば」というディボーション冊子を使ってディボーションをしています。ディボーション冊子は、いろいろありますが、教会が使っているものを使っています。
ここ数日創世記24章のディボーションをしています。創世記24章は創世記の中で一番長い章なのですが、イサクとリベカの結婚のいきさつについて書いてあります。神様がどれだけ結婚について関心があるかがわかります。
そもそも家庭は教会と同じで、神様から造られ、特別に祝福された共同体です。そして後の世代が生まれる器が夫婦です。神様が関心を持たないわけがありません。神様は私たちの結婚に関心を持っておられます。
イサクとリベカの結婚は祈りと御言葉を通して全面的に神様に導かれてなされたことがわかります。リベカは相手の顔も知らずに結婚することを決めました。主への信仰によって決めたのです。主が示された相手であれば、誰であれ結婚するのが最善と信じたのです。
私ももし結婚するとしたら、ただひたすら信仰によって結婚したいものです。
創世記21:22-34
ペリシテ人の王、アビメレクは、アブラハムに、「あなたが何をしても、神があなたと共におられることがわかりました」と言って、アブラハムと対等な平和条約を結びました。
アブラハムは一個人であるにもかかわらず、王と対等な契約を結びます。アビメレクは主の御守りを受けるアブラハムを脅威に思ったのです。
神が共におられる人は、無視されたり軽んじられたりすることはありません。誰もが一目を置き、その意見に傾聴せざるを得ない人物になります。神が共におられる人は、王とすら対等です。なぜなら、王の系統を引く祭司であるからです。
「あなたがたは王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」聖書